イタリア家庭料理を通じて 心を豊かに、丁寧なくらしを

多忙な毎日を過ごす事に
何の違和感もなく働いていた30代
 
新婚旅行でイタリアへ行くことになり、
仕事で忙しかった私は
のんびりリフレッシュになればいいな
思っていました。
 
実際イタリアに着いて過ごしてみると、
そんな訳はなく(笑
日本ではなかなか経験しないような、
イタリアの人々との色々な出来事に
ビックリする日々を過ごす事になるとは
この時は微塵にも思っていなかったのです。
 
イタリアに到着した初日
食事の美味しさや街並みの美しさ
芸術に感動していました。
 
翌日の
バールに行ってみると
朝ごはんを節約している学生に間違われて、
スタッフのおじいちゃんから
「朝ごはんは大事だから、これ内緒だよ」と
ウィンクしながらチョコレートを
渡されたのです。
 
どうやら日本人はみんな
子供のように見えるようで
後日、他のイタリア人から言われました。
 
イタリアの人は優しいんだなと
思いながら午後から
サッカーの試合を見に行きました。
 
指定席をとっていたので行くと
私達の席の目の前に立って見ている
イタリア人がいたのです。
 
私は目の前に立たれると試合が見えないので
自分の席に座ってみてほしいと
拙いイタリア語とジェスチャーで
お願いをしたら逆切れされ怒鳴られたのです。
 
その当時若かった私は
正しい事をして怒鳴られる覚えはないと
大激怒して日本語で言い返すという始末(笑
 
私は夫から、相手は友達から止められて
事なきを得、無事に席の前からどいてもらい
観戦する事ができました。
 
今考えるとイタリアでは普通の事なのですが
初めてのイタリアだったので
感情的になる事が多かった気がします(笑
 
言い合いになった以外にも
のんびりどころではない
イタリアでの洗礼を受ける日々が待っていました。
 
ですが、振り返るとそれは嫌な思い出ではなく
あの時の色々あった毎日が、
私の中の忘れかけていた
大切な何かに触れた瞬間だったと思います。
 
イタリア料理教室をしていると
どうしてイタリア料理を
教えようと思ったのですか?
なぜイタリア料理だったんですか?
とよく聞かれます。
 
イタリア料理に興味を持ったきっかけ
それは
ローマでのカルボナーラとの
出会いがきっかけだったのです。
当時の私の地元では
イタリア料理専門店が少なく
その時の私はカルボナーラが
全く好きではなかったのです。
 
ですので、ローマでランチをしようと
入ったお店の店主が
うちのカルボナーラは世界一だと
勧めてくれても
カルボナーラは苦手だからと断ります。
 
この時点でイタリアでは
ハッキリ物を言わないと
通じないと学んでいます(笑
店主
「うちのカルボナーラは絶品なんだ。
食べればわかる。
絶対美味しいし好きになるから食べてみろ。
美味しいカルボナーラを食べた事がないから
嫌いなんだ
美味しくなかったらお金はいらない」
 
そこまで言うならと
根負けして頼みました。
 
運ばれてきたカルボナーラを
一口食べた時の私の顔は
店主がにやけるものだったと思います。
 
本当に言葉にならない美味しさでした。
もちろん完食です。
 
店主はそれみたことかと
満足気で何故かカルボナーラのお代も
受け取りませんでした。
 
私が食べていたパスタや
イタリア料理は何だったんだろうと
疑問と探求心がこの時うまれました。
そこからは早かったです。
単身でイタリアに度々訪れ、
アパートメントを借りて
地元のマンマからお料理を習ったり、
市場にでかけたりしていました。
 
また日本では地元でイタリア料理教室を
開いている先生の元へ訪れ、
その先生はフィレンツェに
住んでいたことのある方だったので
ライフスタイルにも憧れました。
 
その教室で出会ったお友達も
一緒に過ごした時間も
かけがえのないものになり、
 
私も本場のマンマのイタリア料理を伝えたい、
また食だけでなく人との出会いも、
経験も、伝える側になりたいと
思ったのが教室をやろうと思った
きっかけになりました。
 
イタリア料理専門店にも努め、
40歳までには教室を開こうと
朝から晩までできることは何でもしました。
 
ですが
このまま順調にイタリア料理教室を
始める事ができたわけではないのです。
 
数年後
私は身体があまり強くなかったようで
甲状腺の病気で手術、入院をしてしまいました。
 
退院してからは
1年ほど体調と体力が戻らず
料理の世界で働く事ができなかったので、
まったく違う環境での生活をしていたのです。
 
この頃離婚も経験し
精神的にもつらい日が続きました。
 
やっと復帰できると思った矢先に
今度は
「子宮にこぶし大の筋腫ができていて
将来子供が欲しいと思うのなら
開腹手術をして摘出しないと
子供ができないだろう」
と言われたのです。
 
この時、すでに30代半ばで
高齢出産の年齢層に入っていました。
 
先のことはわからないけれど、
できることはしておこうと
復帰直前にまた手術、入院を決めたのです。
 
開腹手術の後は復帰するまでに
さらにもう1年かかりました。
 
退院直後は働くこともできないので
本当に大変でした。
 
その当時に住んでいた家は
とても気に入っていたのですが、
エレベーターのない
5階建ての5階に住んでいたので、
健康な時はいいのですが、
退院直後は階段を上ることすらが
大変で玄関につくまでに
15分もかかっていたんです。
 
長時間の仕事ができないと
事情を知って友人が
知り合いの割烹料理屋を紹介してくれ、
短時間でいいから
そのお店にお手伝いに行くことになりました。
 
体調が少しずつ戻ってきた頃
割烹料理屋の店主から
食材の勉強になるぞと
市場の魚屋を紹介してくれました。
 
朝は魚屋にお手伝いに行くことにもなり、
その数か月後には魚屋の大将から
食材の勉強になるぞと
お肉専門店を紹介してくれ、
お手伝いに行くことになりました。
 
気が付けば、3つかけもちで
朝から晩まで目まぐるしい日々に
戻っていたのですが、
 
みんな私が料理教室を開きたいと
知っていたので少しでもと
食材を扱わせてくれ、
また生活が大変だろうと
余った食材を分けてくれたりしていました。
 
今では本当に感謝しかありません。
 
今現在
イタリア料理専門店に勤めていた時に
出会った人と再婚しました。
夫は結婚式場でフランス料理を作っています。
 
自分だけではここまで
前に進めなかったと思います。
沢山の人に支えられて
今の自分があるのだと実感しています。
 
そして自分が経験したから言えること、
それは健康であることがベースにあって
仕事ができて
美味しい物を食べる事ができて
友人とも笑って過ごすことができて
人生を分かち合える人達と
出会っていけるのです。
 
身体だけが元気でも
心が元気でなければ
それは健康とはいえないとも
実感しています。
 
美味しくて身体にいい食事
心の栄養になる笑顔と
大切な人と過ごすかけがえのない時間
出会い
ここでしか経験できない場所
私が伝えていける事を
繋げていける事をやっていこうと
 
そんな思いが詰まった料理教室が
今では気が付けば10年目を迎えています。

 愛情と絆そして健康

昔は大家族での生活がほとんどでしたが
今では核家族化しています。
 
どちらがいいという話ではなく
イタリアに行ったとき
なぜか懐かしかったのです。
 
家族で食卓を囲んで会話が弾み
友人たちとの交流や
日々の生活を大事に楽しんでいる
何気ない普段の姿が
なんともいえない懐かしい気持ちになり
 
自分が気が付かなかった
やり方がわからなかっただけで
 
日本でも
 
人生楽しんで過ごせるじゃないかと
思わせてくれたのです。
 
「今日家で習ったお料理を作って出したら
メチャクチャ喜んで食べてました。」
 
「いつもは食べない苦手なお野菜を
習ったイタリアンで作ったら
全部食べてくれたんです。
しかもまた作ってと言われました。
 
「ホームパーティで
習ったお料理出したら凄い大好評で
レシピ教えてって言われて少し自慢でした。」
 
「パスタは家で作って食べるようになりました。」
 
生徒さまから
嬉しいご報告をいただきます。
 
大切な人達と美味しいものを食べて
笑ってお喋りをして過ごすというのは
 
人生でとても楽しく、幸せな事で
それは世界共通だと思います。
 
お料理を作るのが楽しい
 
食べてみたら美味しい
 
こんなに簡単でおいしくて
身体にいい食事なら
大切な人や家族に
食べさせてあげたいと思う
 
きっかけを
 
食事が身体と心をつくるという大切さを
教室で出会う人が
人生の友人、
パートナーになるかもしれない
ということを、伝えていきたい。
 
そんな想いを込めて
私は料理教室を始めました。
 
クオーレはイタリア語で、
心や愛情の意味があります。
手作りの家庭料理で
人生を豊かに、愛情あふれる日常を
という意味を込めて
 
ミラノに住んでいる友人が
「La casalinga del cuore」
と言う素敵な名前を贈ってくれ
 
後に
イタリア料理教室クオーレが
誕生しました。
 
•袖振り合うも多生の縁
教室で出会う人達は、
もしかしたらあなたの一生の友人や
パートナーになるかもしれません。
 
家族や友人との生活、
空間のエッセンスにもなれるよう
そんな想いも込めて。

 

 

                                                小笠 英子  

              OGASA HIDEKO